これまで、日本における高度経済成長とその終焉について、FP目線での解説を行ってきました。


この記事で解説してきた通り、この時期高度経済成長の終焉は”高度”な経済の”成長”が終わっただけで、日本の景気が悪化していたわけではありません。
1973年あたりまで続いた高度経済成長後も日本の良い景気は続き、この状況が”バブル景気”と呼ばれています。
今回は、その“バブル景気”がどのような状況だったのか、という点と、いわゆる“バブル崩壊”がなぜ起こったのかについて解説していきたいと思います。
円安?円高?って何?
バブル景気の経済状況を知るには、まずは「円安」とか「円高」の感覚的理解が必要です。
これは、世界全体・特定の国の経済状況に対して「円の価値がどう変化したか」を指します。

この時点ですこし拒絶反応を感じる方がいるかもしれませんが、
わかりやすく解説するので、少しがまんして読んでみてください!
例えば、1ドル=100円から1ドル=110円に変化したとします。
これは「円の価値の変化」です。
ではこの変化が「円安」「円高」のどちらへの変化なのかについて解説します。

考えるときのポイントは「”円”目線」で考えることです。
1ドル=100円が1ドル=110円になると、円の価値が下がるので「円安」(”円”が安くなった)になります。
一般的に「1ドル●●円」という言い方が一般的なので、”●●円”の部分が増えると「円安」、減ると「円高」ということで、逆な感じがしてイメージしにくいかもしれません。
ここは、あえて「逆」なんだと感覚的に覚えた方がいいかもしれません。
このことは、バブルの話を理解するためだけではなく、FXなどを行う際など現在でも役立つので、ぜひ身に着けてほしい感覚です。

よく耳にする「1ドル●●円」の●●部分が増えると、それが”円安”と呼ばれる状況であり、世界市場に対して円の価値が下がっていると考えてください。
バブル景気となった要因
「円安」「円高」を理解していただいたところで、高度経済成長後に”バブル景気”を迎えた要因について説明していきたいと思います。
大きくこちらの二つの出来事が要因となります。
- プラザ合意
- 低金利政策
この二つの出来事は、見方によっては連動した出来事ではありますが、説明としてはそれぞれで解説させていただきます。
プラザ合意
日本の高度経済成長の終焉を迎える1970年代後半から1980年頃になると、アメリカ経済は世界のなかでも強大な存在となり、世界的にドル高(ドルの価値が強くなる状況)となりました。
ドル高という状況はアメリカにとって、いい話のようにしか思えないですが、見方を変えるとアメリカ製品を海外で売っても儲けが減っていく状況になったということになりいいことばかりではありません。

そして、この状況が続いたことによりアメリカの貿易赤字が膨らんでしまいました。

日本の「高度成長期終焉期」の反対のことが起こった感じですね。

世界経済を考えると「相場が急激に変化する」というのはあまりいい結果につながらないようです。
「安定」あるいは「ゆるやかな変化」が理想的なんだと思います。
この、あまりの世界における「ドル高傾向」を先進国間で是正しようとした話し合い、言い換えると「ドル高是正の動きに合意した」のがプラザ合意です。
この時の先進国とは、
- アメリカ
- イギリス
- 西ドイツ
- フランス
- 日本
の5ヵ国でした。

この時期において、先進5ヵ国の中に日本が入るというのは、この時期までの日本の経済成長が世界で認められるほどだったという表われでもあります。
この”プラザ合意”により、「ドル安→円高となった」ことは、間違いなくバブル景気の要因の一つだといえます。

ドルの価値が高くなりすぎることを抑えることで、円の価値が上がったということです。
低金利政策
それでは、円高になると日本国内はどのような状況になるのでしょう。

もしかして、プラザ合意前のアメリカと一緒の状況に。。。
結果論とも言えますが、同じことの繰り返しになってしまっています。
そして、その円高(貿易赤字傾向)に対して日本が打ち出したのが、「低金利政策」となります。
これは、日本銀行が銀行等にほぼ金利無しでお金を貸すということです。
都市銀行等は、主に「日本銀行から借りたお金」を運用し、利益を得ています。(”利益”という言い方は正しい言い方ではないですがわかりやすく伝えるためこの言い方をしています)
その利益の中から金利分を上乗せして日本銀行に返納する形になります。
「ん?」という感じになる方もいると思うので、図解します。

そもそも「日本銀行」って何?という方もいるかもしれません。 いろいろな機能がありますが、ここでは「銀行」というよりも「日本のお金の動きを統治・コントロールする機関」と理解していただければと思います。
この「低金利政策」で、日本の銀行は「ただで借りれるならどんどん借りよう」という感じになり、日本国内の経済(いわゆるお金の巡り)は一時的に活発になりました。
ただ、しばらくすると「借りたお金の使い道」があまりなくなった状況に陥り、
「とりあえず不動産系の資産購入にお金をつぎ込む」という状況になりました。

工場を造る、ビルを造る、ということへの投資は、一通り終わったということなんでしょう。
「不動産系の資産にお金をつぎ込む」ことは、
- 株の売買が活発になり株価が上がる
- 土地の買い占めが始まり、土地価格(路線価)が上昇する
- 高級車や高級宝石などがどんどん売れる
- ゴルフ会員権が売り回され値上がりする
などなどにつながり、このような状況こそがバブル景気を迎えることにつながりました。

今「バブル」と聞くと悪いイメージになってしまうけど、当時の人たちは、仕事も遊びもモチベーション高く生活してたんだろうな、と思います。
バブル景気の終焉
そのバブル景気の終焉は、結果として「政策」によってもたらされます。
「低金利政策の終了」というわかりやすい政策(の終了)です。
いわゆる「不動産投資ブーム」により、様々な不動産資産価値が上がりすぎたことについて「政策が間違いだった」と政府が認めたということになります。
バブル景気に乗って様々な買い物や投資を行った方にとっては、暗黒ともいえる時代が訪れたことになりますが、それまでが「行き過ぎてた」と理解するしかないですね。
さいごに
今回は、バブル景気とその崩壊について解説をしてきました。
「バブルが崩壊した」ということで説明が終わると、暗い時代がやってきたように感じるかもしれませんが、少なくとも現代においても「GDP(国内総生産)は世界第三位」であるという事実は、高度経済成長期からバブル期における日本の経済成長なしには実現していなかった状況だと思います。

武勇伝を語る高齢の方々をうっとうしがってはいけませんね。
しっかり感謝しましょう!
「今の経済状況を知るために過去の経済を学ぶ」ということで解説をしてきましたが、かなり濃い話で私自身すごく勉強になりました。
バブル崩壊後の経済状況や、現代の経済状況についても各種記事で解説していますので、興味のある方はご覧いただければと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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