【高度経済成長の”終焉”】”感覚的”に理解する日本経済の歴史

「お金の話」解説

前回の記事では、第二次世界大戦後の”高度経済成長”について説明させていただきました。

【高度経済成長】"感覚的"に理解する日本経済の歴史
TK 今回の記事では、いわゆる第二次世界大戦後の「日本の経済成長」がどのようなものだったか、できる限りわかりやすい表現で"感覚的"に理解していただきたいと思います! 第二次世界大戦後、日本にはものすごい勢いの経済成長の時代が訪れたことをご存...
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こちらの記事を読んでいただいたほうが、今回の記事内容の理解もさらに深まるので、まだ読んでいない方はぜひお読みください!

この記事を読んでいる方はご存じの通り、この“高度経済成長”は終焉を迎えることになります

今回は、その「日本の経済成長が”終焉”した理由」とその時代における「実際の経済状況」についてできる限りわかりやすく解説したいと思います。

“高度経済成長”の終焉

「”高度経済成長期”が終わった」
と聞くとすごく暗い話に感じられるかもしれませんが、あくまで「“成長”が止まった」ということなので「経済が落ち込んだ」わけではありません
むしろ、経済成長が20年続いたということが、すごいことだと理解していただければよいかと思います。

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「良い景気が続いた」のではなく「経済の成長が続いた」期間が20年ということです!

現在の経済状況を考えると「いい時代だな」と思うかもしれませんが、当時の経済成長があったからこそ世界の中でも、今なお経済大国という地位がある、ということは忘れてはいけません。

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むしろ、当時のがんばりには「感謝」するべきだと思います。

高度経済成長が終焉した理由

“高度経済成長”が終わった理由は主に
・ニクソンショック
・オイルショック

の二つの出来事と言われています

どんな出来事だったかをよく知っている方も多いかと思いますが、少し解説させていただきたいと思います。

ニクソンショック

以前の記事で解説させていただいた内容になりますが、日本は1950年から固定相場制(対ドル)でした。
しかしながら、当時アメリカ大統領であったニクソン大統領が1971年急に「固定相場制終了」を宣言したのです!

固定相場制は、日本以外のアジアやヨーロッパでも導入されており、各国の経済成長には大きく寄与しましたが、アメリカにとってはやはりお金の流出につながっていたということです。
さらには、当時発生していた”ベトナム戦争”で資金不足となり、資金調達のために固定相場制をやめたと理解するとわかりやすいかもしれません。

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アメリカとしては「資金調達」というよりは、“資金流出を阻止”したという方があっているかもしれません。

ここで、固定相場制が終わった後の状況を、前回の記事と同様の例で図解したいと思います。

固定相場制~1971年(ニクソンショック前)

前回の記事でも説明した通り、この時1ドル=360円の固定相場でした。
日本で26,000円で製造した製品をアメリカで100ドルで売ると、10,000円の利益が得られることになります。

ニクソンショック(固定相場制終了)直後

ニクソンショックが始まると、1ドル≒300円に急落しました。
すると、日本で26,000円で製造した製品をアメリカで100ドルで売った場合、利益は4,000円に減ってしまいました

その後、1978年くらい

当時の最低の為替は、1ドルが200円以下になることもありました。
ここまでになると、同じように“日本で製造”→”アメリカで販売”しても、6,000円の損益が発生してしまうことになります。

このような状況になると、日本としては利益を増やすためにアメリカで高い価格で売る必要が出てきます
しかしながら、価格を上げると製品が売れなくなり結果的には製品の輸出量も少なくなります

このような負のサイクルになり、経済成長が止まるという結果につながりました。
これが、高度経済成長期が終焉した理由の一つです。

オイルショック

ニクソンショックとともに、高度経済成長が終わることになったもう一つの出来事が「オイルショック」です。
言葉自体はだれでも知っていると思いますが、トイレットペーパーが不足してお店が大混乱になった、ということくらいしか理解してない方も多いのではないでしょうか。

日本が経済成長を遂げるには、当然「燃料」である「石油」がたくさん必要でした。
そして、その石油の調達については、主に中東からの輸入に頼っていました。(今もですが・・)
そんな中、中東内で「イスラエル」VS「イスラエル以外」という構図(ざっくり)で戦争がはじまってしまったのです。

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この戦争は“第四次中東戦争”とも言われています。

日本やアメリカはイスラエルの支持・支援をしていたため、「イスラエル以外」の国が日本に対して石油価格を高くしてきたのです。
具体的には、価格として突如70%ほど引き上げられました。
この価格引き上げにより、様々な製品が高騰し混乱を招いたのです。

ではなぜ「トイレットペーパー不足」という話につながったのでしょう。

石油価格の引き上げを受けて、政府が「紙を節約しましょう」と国民に呼びかけたことで、国民は「紙がなくなる」と思い込んだことによります。
そして、「トイレットペーパーがなくなる」という噂がどんどん広まり、トイレットペーパーの買い占めなどの混乱が全国に広がっていきました

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コロナ禍が始まったときもトイレットペーパーが不足し混乱しましたよね。

今も昔も、何か混乱するような出来事があると、みんな「まずは、トイレットペーパー確保」という意識が働くのかもしれませんね。

最終的に石油の価格は4倍程度に跳ね上がったということなので、様々な製品に大きな影響があったことだと思います。
このことが、高度経済成長が終焉した二つ目の理由です。

経済成長の代償”公害病”

第二次世界大戦が終わってから短期間での経済成長はすさまじいものでしたし、現在も明らかにこの時代の経済成長の恩恵を受けています。
そして、今でも日本が「経済大国」と言われている礎になったことは間違いないと思います。

しかし、「経済成長」は結果としていいことばかりではありませんでした
この経済成長の影響で代償を払うこととなった出来事もあります。
その一つが「公害病」です。

経済成長により、日本国内にはどんどん工場が建てられましたが、残念ながら当時は「環境」という観点の意識がかなり薄かったこともあり、日本国内のさまざまな場所で公害病が発生してしまいました。
この記事では、「四大公害病」についての詳しい内容には触れませんが、経済成長もすべてがうまくいったという訳ではなく、代償を払う出来事もあったということもよくわかります。

TK
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とはいえ、いろいろなチャレンジをするときに、リスクばかり気にするのも面白くないですよね。バランスが大切ですね。

さいごに

今回は、高度経済成長の”終焉”について解説しました。
「終焉」という言い方をすると暗いイメージになってしまいがちですが、高度経済成長が終わったあとも、日本経済の勢いはしばらく継続します。

では、その“勢い”がいつまで続いたのかというと、1991年の”バブル崩壊”までということになります。
次回の記事では、“バブル崩壊”時の状況について解説していますので、興味のある方はぜひごらんください。

【バブル景気とその崩壊】”感覚的”に理解する日本経済の歴史
これまで、日本における高度経済成長とその終焉について、FP目線での解説を行ってきました。ここまでの記事でも説明してきたように、この時期、高度経済成長の終焉は"高度"な経済の"成長"が終わっただけで、日
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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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